「少林氣功」へと導かれ〜

内なる旅、インワードジャーニー。それは、単にヨガ修行の事を指すのではなくて。あらゆる体験は心の修行であり、魂の修行だったんだと、今こうして振り返ってみると、そんな風に感じられるのです。ヨガにとどまらず、一つ一つの体験が私を「気づき」へと導いてくれていたことに、感動すら覚えます。偶然のように、でも決して偶然ではなく。きっと強い自分の意思が引き寄せたであろう「少林氣功」の習い事も明らかにその一つだったと、今の私はそんな風に思えます。

41才という年齢で晴れて長女を出産したものの、腱鞘炎で手首を痛め。もともとストレートネックぎみだった頚椎も、十代の頃から持っていた側弯症による腰痛も背中の痛みも、全てが急激に悪化。当時島暮らしをしていた私は、乳飲み子を置いて香港島のヨガスタジオに通うのもままならず。なんとも歯がゆい毎日でした。
満身創痍の高齢子育てからの脱却を切望した末に、

「ヨガに行けないなら、せめて氣功を習ってみたい」

という、突然の衝動が湧き起こってきたのです。産前産後、大変お世話になっていた漢方のドクターから漢方体操を少し教わっていたのですが、その先生から

「氣功を習うといいかもしれませんよ」

と言われていたのをふと思い出したのです。

近所のコミュニティーセンターに行けば、氣功のクラスがあるかもしれない。あそこなら、週末子供を置いて、小一時間くらいクラスに出ることができるかも!
血や氣の巡りが滞っているのをひしひしと感じていた私は、即座に行動に移しました。

残念なことにコミュニティーセンターには氣功のクラスは無いとのことで、やむなく太極拳のクラスを受けてみることにしました。しかし、太極拳というのは武術からきたもので、私が求めている「氣を練る」動きを学ぶより、型を覚えて不慣れな動きを真似ていかなければならなくて。
なんだか、自分の求めているものとちょっと違うなぁ…と、思っていたら。

太極拳のクラスを終了後、同じフロアの別室で、何やら氣功っぽいことをしている人たちを発見したのです。

「あれ?!これこそ私のやりたかった氣功じゃない???」

そう思い、まじまじとドアの小窓から覗き込み中の様子を伺っていました。

そうしたところ、中から親切そうな西洋人男性が出てきて、声をかけてくれました。

「君、興味あるの?」

「これって、気功のクラスですか? 事務局に聞いたら、気功のクラスはなくて、太極拳を勧められたんですけど、私が本当に習いたいのは氣功なんです。」

「ああ、これね。オープンクラスじゃなくて、僕らが個人的に香港島から先生を招いて、氣功を習ってるんだ。先生はわざわざ遠くからこの島まで毎週教えにきてくれてるんだよ。」

もちろん即座に

「私も習わせてください!」

とお願いをしました。快く願いは受け入れられ、少し遠回りをしましたが、次の週から念願の氣功のトレーニングを始めることができたのです。

そこに集う人々は私が知っている「ガイジン」とはかなり違っていました。いかにも博学そうな南アフリカ人の作家の男性や、とてもダンディーなベルギー人のファッションデザイナー。おとぎ話に出てきそうな優しい魔女っぽいトルコ人女性に、流暢な北京語を話すアメリカ人男性など。皆が、英語がさほど流暢ではないシーフー(先生)の片言の説明を熱心に傾聴し、トレーニングに没頭しているのです。私はこのクラスにただならぬ何かを感じました。
私はこの人たちより随分出遅れているかもしれないなぁ…、とおぼろげに思ったものです。

ある時

「真利、君、体調よくないんだね。」

と、ダンディーな男性から言われた私はびっくりして聞きました。

「え?どうしてわかるの?」

「エネルギーがちょっと弱っている風に見えたから。でも、大丈夫。
ちゃんと、緑のオーラがでているよ。ただ、氣の流れもよくなくて、オーラもちょっと薄い感じがしたから、体調がよくないんだなと思ってたんだ。」

と。そのようなことを人から言われたことがなかった私は、焦りや狼狽を隠せませんでした。

「私にはなんにも見えないし、なんにも感じない…。みんな、オーラの色が見えたり、氣を感じたりしているのですか?」

と動揺している私に、先生はにこやかにこう言いました。

「大丈夫。やってるうちに感じるようになるよ。でも、感じたり、見えたりしない人も稀にいるけど、それだって、氣功の効果が無いわけじゃないんだ。やったらやっただけその効果はあるんだよ。だから気にしなくっていいよ、真利。」

氣功の動きを繰り返し練習していると、自然と指や手からビリビリと氣が流れ出すのだというのは、当時の私にはかなりセンセーショナルな事実でした。そして、ここにいる誰もが、ビリビリを感じ、オーラを見ているだなんて。

一年間、みっちりこの不思議なクラスで少林氣功を習った私は、知らず知らず、体をめぐる氣についての感覚が深まっていったのです。そして、その後晴れて念願のヨガプラクティスに復帰した時から、スタジオで感じるもの、目に見えるものが以前とは変わっていることに気づいたのでした。そんな私の少林氣功の修行体験。ヨガの練習に行けなかった時期に急場凌ぎで試してみただけのものでしたが。今にして思えば、貴重な学びを得ることができたかけがえのない時期だったのです。

今もあの不思議なクラスは香港のDiscovy Bayに存在しているのでしょうか。
当時の先生や氣功仲間に、また会えたらいいのになぁと。
ふとそんな事を思う私です。

Namaste